実はビー玉じゃないんです!いったい正式名称は、何でしょう?なぜ、ガラスの玉で栓をしているのでしょうか?
ラムネを飲むときにコロンと瓶にひっかかるあの玉。
ビー玉という名前で、世間では呼ばれていますが、正式名称にはきちんとした理由があるのです。
それと、ラムネの製造工程や、意外な場所で作られていたという歴史も見ていきましょう。
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ラムネのビー玉って名前は間違い!じゃあ正式名称はなに!?
〇ラムネのビー玉はA玉だった!
A玉って何だろう?ビー玉がB玉ってことも知りませんでした。
このビー玉がラムネとこんなに関係があるなんて、意外でした。
・ビー玉ではなくA玉だった!
ビー玉と呼ばれている「ガラスの玉」実はA玉だったのです。
栓の役目をする玉は完全な球体でなくてはなりません。そこで、合格品は「A」不合格品は「B」としたのです。
その、不合格品「B」を‘せっかくだから駄菓子屋で売ってしまおう“と出来たのが、本当のビー玉です。
確かにラムネの瓶から取り出した玉と、遊びで使われるビー玉を比較すると、ラムネの瓶の玉のほうが真ん丸で、ビー玉は形も大きさも若干違いがあります。
・ラムネの瓶の製造工程
本来のラムネの瓶の製造工程は、まず口の広いビンを作ります、その後ビー玉を入れてから口の部分に熱をあててすぼめます。
今はプラスティックのキャップが殆どなので、もっと簡単になっています。
出来上がったラムネのビンにラムネを入れて、一気に逆さにします。その瞬間、中の炭酸の圧力でビー玉が外に押され蓋がしまるようになっています。
炭酸の力のみで特殊な加工はしないようですね。
・ラムネのビー玉の役目
ラムネのビー玉は栓の役目をするので、完全な球体でなくてはなりません。
当初はコルクで栓をしたそうなのですが、炭酸が抜けてしまうという理由で、ガラスの玉で栓をすることが開発されました。
1872年イギリスのハイラム・コッド氏が発明したもので、「コッド瓶」として1887年(明治20年)頃に日本に輸入されたそうです。
また、瓶と一緒に玉もそのまま再利用していたということです。
・もうひとつ正式名称がある!?
ビー玉の語源は、「ビードロ(vidro,ポルトガル語でガラス)玉」の略。
という説がありますが現在でも詳細はハッキリしていません。
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〇ラムネが戦艦大和で製造されていた?
photo by iyoupapa
先日、TV番組「旅ぷら」で紹介されて話題になっている「大和ラムネ」
意外に知られていませんが、戦艦大和でラムネが作られいて船員たちに飲まれていました。
海軍ゆかりの港町、広島県呉市にある中元本店の創業者が、戦艦大和に製法を伝え、戦艦大和では伝授された製法でラムネが作られていたのです。
・戦艦大和での製造法
戦艦大和には、艦の中央片隅にラムネ製造機というものがあって、ラムネを製造していました。
専用スタンドに香料・砂糖水入りのボトルが固定されていたようで、そこに二酸化炭素ボンベが高圧ホースで接続されているのです。
分かりやすく言うと、病院の点滴のようなイメージです。
それをハンドルで圧縮するとラムネが出来上がるシステムです。
・船員が飲めたの?
旧軍の嗜好品の配布の中にラムネもあったそうです。
特に海軍は潮風に当たったりするので、のどの渇きを訴える場面が多かったようで、甘い飲み物が評判良かったようです。
船員はラムネ作りを手伝うときだけは、ガブ飲みできたそうですよ。
できたラムネは50本ケースに仕分けられて、
「各分隊、ラムネ受け取れ」という命令で分配されていたそうです。
なんだか、嬉しい命令ですね。
〇まとめ
ラムネのビー玉はA玉だったということは驚きました。
ガラスの玉なのでそのまま再利用していたとは、素晴らしい知恵ですね。
しかも、飲むときに邪魔にならないように、瓶に引っかかるようにデザインしてあることも感心します。
また、戦艦大和で作られていたことも驚きでした。
船の上で飲むラムネは美味しかったでしょうね。
私のラムネの思い出は、たこ焼き屋さんで冷やし飴か、ラムネを飲むのが楽しみでした。
これからも色々な場面でラムネを味わって、次世代にも引き継いでいきたいですね。
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